2013年5月9日木曜日

「寄贈」を人生の節目に


 大量の愛蔵書を惜しげもなく当ライブラリーに寄贈してくれた友人の川田秀明くんのことは前回のこの欄で書いた。おなじような人はたくさんいる。ぼくが存じあげない方も多いが、なかには川田くんのように、友人や知人からの大量寄贈もある。

 久保田千穂子さんは、ぼくがよく行く伊東駅近くのレストラン「のり」の常連客で、スナックのママさんだそうだ(ぼくは下戸なので、まだその店には行っていないが)。久保田さんはレストランでも、食事がテーブルに出てくるまで、いつも本を読んでいる。
CAVE DE VIN NORI

 その久保田さんが段ボール箱何十ケ口も寄贈してくださった。川田くんと同じく、たぶん書斎が空っぽになったにちがいない。彼女の寄贈本はほとんどが日本の作家の小説だ。それも大半がきれいな単行本で、文庫は少ない。小説がほんとうに好きなのだ。

 先日、また「のり」でお会いした彼女にお礼をいったら、「どうしても手元に置いておきたいのは子どものころから好きだった『赤毛のアン』や『秘密の花園』とかの数冊だけだということがわかったのよ」といっていた。

昨年、サザンクロスリゾートの温水プールでワッツ(ウォーター指圧)のセラピーを経験させてくださったアクアセラピストの矢野真弓さんも大量寄贈者のひとり。矢野さんの寄贈本は「スポーツ科学」「水」「セラピー」「リラクセーション」「変性意識」などにまつわるものがほとんどで、まさに彼女の専門領域の本ばかりだった。


 矢野さん、久保田さん、川田くんに共通しているのは、それぞれが人生の大半をかけて知識を学び、感動を与えられ、愛着をもっていた本の数々を惜しげもなく次世代の人たちに手渡すことに同意してくださったという点である。

 恐らくその人たちは、長年手元に置いてきた、旧友のような本の数々を一括してライブラリーに寄贈するという行為をつうじて、人生に節目をつけようとしているのではないか。今後のライフスタイルの目標を、断捨離によって得た、「持たない」ことによる「軽み」の境地にもとめているのではないか。そんな気がする。