2013年6月28日金曜日

ウッドピープル

 昨夜19時から、いよいよ書棚の組み立てと建て込みがはじまった。19時からになったのは、作業にあたるメンバーが全員プロの大工さん、室内装飾屋さんなどで、それぞれ自分の仕事が終わってからボランティアで集まって頂いたからだった。
 声をかけて下さったのは伊東では知らぬ人のない祇園寿司の若社長、守谷匡司さん。故北村重憲オーナーの親友だった守谷さんは横浜までみずから大型トラックを運転して、何トンもある書棚の材料を運んでくださった。そして所属する伊東市商工会青年部建築会の若手メンバーを12人も集めて、ライブラリーができる空間であるサザンクロスリゾートのピカデリー広場に駆けつけてくださった。

 山と積まれる梱包を解いた12人の屈強な男たちが2人一組で一斉に板を取り出し、みるみるうちに書棚が組み立てられ、壁に設置されていく光景はまさに圧巻だった。
 寄贈された本一冊一冊に寄贈者名のシールと管理用のバーコードシールを貼り、本と寄贈者の情報をコンピュータに入力する静的な作業を担当しているわれわれ「ブックピープル」と、書棚をはじめライブラリーの内装づくりという動的な作業を担当してくださる彼ら「ウッドピープル」が、はじめて顔をあわせたのが昨夜のことだった。

 大量に出てくる梱包材やクッション材を片端から拾ってゴミ袋に入れ、お茶やお茶菓子を用意し、記録写真を撮るのがブックピープル女性陣の仕事だった。お茶菓子は故オーナー夫人からの差し入れだった。

 昨夜の作業はわずか2時間で終了した。作業に立ち会ってくださったフロント課長の山口幸也さんがウッドピープルに丁重にお礼をのべ、最後に「どうぞ温泉で汗を流して行ってください」とつけ加えた。さすがは故北村オーナーの口癖「ホスピタタリティ」の精神を受け継ぐスタッフであると感心した。残念ながら12人は汗を流すこともなく一斉に夜の闇に消えていった。「腹がへってるんですよ。まだ夕食を食べてないから」と守谷さんが
笑っていった。

 7月7日にはこのピカデリー広場と隣のレイラニというスペースで「北村重憲さんを偲ぶ会」が開催される。参列者には「故人の好みで、正装ではなくアロハシャツでお越しください」とのことである。

2013年6月21日金曜日

メガソーラー

東京新聞:ゴルフ場が発電所
今朝の「東京新聞」第1面のトップ記事を読んで、いまは亡き北村重憲さん(ザンクロスリゾートオーナー)が浮かべた残念そうな表情を思い出した。
 サザンのゴルフ場は現在18ホールが使われている。かつて賑わっていた9ホールは空き地や練習場になっている。いつかふたりでそのあたりを散歩していていたとき、北村さんが「近くに送電線があればなあ。残念だ」といったのを思い出したのだ。

 北村さんは「持続可能なリゾート」を模索されていた。ホールの跡地をはじめ、風光明媚な未利用地を有効利用することでその構想を実現させるためのさまざまな計画をぼくに語ってくれた。その計画のひとつにメガソーラーがあった。エネルギー企業に土地を貸して大規模太陽光発電所をつくり、施設の電気をクリーンなものに変えながら地代と売電で安定収入を確保しようと考えていたらしい。ただ、そのときの北村さんの知識では、近くに送電線がないと売電ができない、送電線を自前でつくるには莫大な費用がかかりすぎると考えていたらしい。それが「残念だ」になったのだろう。

 しかし「東京新聞」の記事を読むかぎり、必ずしもそんなことはないのではないかと思われる。というのも、それは群馬県の閉鎖したゴルフ場「榛名CC」の跡地にソフトバンク子会社「SBエナジー」が260 万キロワット時のメガソーラーを建設したことを伝えている記事だからだ。ゴルフ場近辺に送電線など走っているはずがない。それも「SBエナジー」が負担したのではないか。工事は半年以内で完成し、その跡地の現在の所有者である村には毎年、売電収入の3%(約400 万円)と固定資産税が入る計算だという。

 記事によると、閉鎖したゴルフ場跡だけではなく、現在営業しているゴルフ場でもゴルフ収入の足しにしようとメガソーラー計画が進んでいるという。そのひとつ、老舗の「鬼怒川CC」も使われていない一部のホールを利用して北関東最大級の施設が2015年春に稼働する予定らしい。

 「癒しと憩いのライブラリー」も、じつは北村さんの「持続可能なリゾート」計画の旗揚げ事業として企画されたものだった。費用もさほどかからず、再生可能な読書の流れが実現できると考えたからだった。もし北村さんが今朝の「東京新聞」を読んだら、すぐにでも「SBエナジー」に電話をかけるのではないか?  そんなことを考えた。

2013年6月10日月曜日

北村重憲さん

 悲しいお知らせをしなければならない。「癒しと憩いのライブラリー」の生みの親であり、われわれブックピープルにとって最強の庇護者であったサザンクロスリゾートのオーナー北村重憲さんが5月半ば、持病を悪化させて急逝された。

  重憲さんは湘南育ち。生えぬきの慶応ボーイ(慶応義塾大学のOB会である三田会の会長職にもあった)であり、JALの海外勤務で世間の波にもまれたのち、創設者であるお父上を継いでサザンクロスの社長となり、つねに斯界をリードしてきた。社長の席をご子息の太一さんに譲ってからはオーナーとして、サザンクロスのみならず、日本のゴルフ場やリゾートホテル経営の将来像を描きながら、その実現のための人脈を広げることに専念されておられた。ライブラリーは彼が描いた将来像における布石の第一歩だった。



 旧満州の引揚者であり、早稲田大学で学び、大衆文化の牽引者であるテレビディレクターをへて翻訳・著述家となった野暮なぼくとは対照的に、洗練された人生を歩んでこられた重憲さんは、2年前のある日、「伊豆新聞」に掲載されたぼくの小さな紹介記事を見て、なぜか「探していたのはこの男だ」とひらめいたという。

 若いころにパリの5月革命、プラハの春、サンフランシスコのサマー・オブ・ラブなどに共感した記憶をもつ同世代のふたりは初対面から気脈のつうじる間柄となり、たちまち無二の親友となった。まるで20代に戻ったかのように、ふたりは連日携帯メールで他愛のないやりとりを交わしつづけ、暇さえあればホテル緑風園の露天風呂で、ファミレスのジョナサンで、サザンクロスの特別室で、尽きぬ話に打ち興じた。

 その重憲さんが、かき消すようにいなくなった。あのよく響く甘い声、あの無邪気な笑顔、頻繁に口から飛び出したあのスマートなカタカナことばが、不意に虚空に吸い込まれて消え果てた。


幸い、ご子息の北村太一社長がお父上の遺志を継ぎたいと伝えてくださったおかげで、重憲さんが熱心に語っていたようなおしゃれな空間を創造することはできないかもしれないが、ライブラリーはなんとか予定どおりに開館式を迎えることができそうだ。残された者にできることはなにか、このところそればかりを考えている。

 ひとつ思い浮かぶのは「癒しと憩いのライブラリー」という名称のアタマに「北村重憲記念」の6文字を刻みこむことだ。創業者である重憲さんのご父君はサザンクロスの玄関先や庭園にお名前を刻んだ石柱や銅像を遺されている。だが、おしゃれで照れ屋の重憲さんはその手のモニュメントは好まないだろう。彼が描いた布石の第一歩であるライブラリーこそ、本好きだった重憲さんの名前を刻むにふさわしい場である。というわけで「癒しと憩いのライブラリー」は開館の日から、「北村重憲記念・癒しと憩いのライブラリー」としてお披露目させていただくことになる。ご了承いただきたい。