2016年9月15日木曜日

『図書館の魔女』

 若いころから夢野久作、小栗虫太郎、渋沢龍彦、中井英夫、沼正三などによる、型破りな小説を好んだ。最近はそんな作家にめぐり会わないなと寂しい思いをしていたら、メフィスト賞でデビューした高田大介による『図書館の魔女』(講談社文庫、全4巻)に出会った。読み出したらやめられず、原稿用紙3000枚の大作を一気に読破。久しぶりに読書の快楽を満喫した。

 まず感心したのはボキャブラリーの豊穣さだ。印欧語比較文法や対照言語学を専門とする学者だけあって、和・漢・洋の、しかも各時代の言語に精通していなければ使えないことばが無尽蔵に散りばめられていて飽きることがない。いちばんの美点はその博識を誇ることなく軽々と駆使して、サスペンス、ロマンス、涙、笑いなどへの配慮も忘れていないところだ。
 ストーリーは作品を読んでいただくとして、ここでは冒頭に近い部分に開陳されている「図書館論」の一部を引用しておこう。愛すべき異能の少女、主人公の魔女マツリカが生まれてはじめて図書館という空間に入った少年キリヒトに語る場面である。

 「図書館は書物の集積から織りなされた膨大な言葉の殿堂であり、いわば図書館そのものが一冊の巨大な書物。そして収蔵される一冊いっさつの書物はそれぞれ、この世界をそのまま写しとろうとする巨大な一頁をなしている」
 「言葉が互いに結びつきあい、階層を成して単位を大きくしていく、そのまっすぐ延長線上に図書館があり、世界の全体すらもまた同じ線上にある。むろんこの巨大な書物はどの頁を最初に取りあげてもよく、どの頁を読まなくとも差し支えない。開くべき最初の頁、たどり着くべき最後の頁がどこにあるのかも判らない。読み進むべき方向も明らかではない。にもかかわらず任意にいかなる頁を繙(ひもと)いても、そこには一条の不可逆の線が刻まれているだろう」
 「図書館が一冊の書物である限り、図書館は言葉が享受する様々な力を等しく持ちあわせるし、言葉が縛られるありとある桎梏(しっこく)をひとしく課せられている。なかんずく図書館の中の図書館と世界に謳(うた)われ、自らもまたそううそぶくこの『高い  塔』が、言葉そのものから立ちあがり、書物そのものから織りなされてある以上、その基本的な性質を曲げずに受け継ぐのは理の当然だろう?」

 世界最古、世界最大とされる「高い塔の図書館」と比較するのもおこがましいが、「癒しと憩いのライブラリー」もまた、ささやかながら「図書館そのものが一冊の巨大な書  物」という思想を共有している。
 『図書館の魔女』、ぜひお読みいただきたい。読みおわると「魔女ロス」になること請け合いです。